店主ブログ

店主のこだわり

リアルとフェーク

最近の新聞記事はITにまつわるものが多いと感じるが、その中に自分の誕生日にネットで複数の同じ歳くらいの女性が祝ってくれて「いいね」をくれるという記事である。

 

友達同士の会話かと思いきや、有料で企画会社に依頼したバーチャル誕生日会だという。お金を払ってでも、お祝いしてもらいたいが、リアルな人間同士の付き合いはゴメンだという。

世の中も変わった、ここまできたか?というのが私の第一印象である。

 

しかし少し考えてみると江戸落語にある「女郎」の言葉を信じて遊びに来る男が「年季が明けたら一緒になろう」という言葉を「フェーク」だと半分わかっていても懲りずにお金をつぎ込む。似たような話だが、ただこの二つの話に決定的に違うのは「肉体」というリアルの存在感である。

 

肉体というこれ以上ない即物性を現代人は感じ無くてもいいというのか?これでは結婚しない若い人が増えても致し方ない。

 

なぜこんなことになってしまったのか私には理解できない。人間同士の繋がりを「楽しむ」のではなく「ストレス」と感じてしまうということか?私には心が歪んでいるとしか思えない。

>>お問い合わせはコチラ

2018年がスタート

明けましておめでとう御座います。

 

 

思い起こせば1999年には「全てのコンピューターが999の連続でシャットダウンする?」のニュースや「ノストラダムスの予言」により地球が破滅するという噂がまことしやかに喧伝されたが、あれからもう西暦21世紀も19年過ぎた。

 

若い人達には「へー、そう」と聞き流されそうだが、当時は結構マジに受け取った大人達が多くいたのは事実である。まして科学文明の未発達の時代には「祟り」や「末法」が本気で恐れられていたことは想像に難くなく、未来への不安に対して、いつの世も人は無力である。

 

今、私が疑問に思っているのは科学的合理性、利便性が肉体に与える影響と寿命の関係である。科学文明の進歩により、もたらされる合理性、利便性によって肉体の鍛え方が著しく後退したのではないか?と考えている。

 

先日も明治初期に米俵(60kg)を5個背負って平然と運ぶ女性達の写真を見て驚いた。時代小説に登場する剣豪が飛び上がって敵の面を頭上から打ち砕く場面がある。あの跳躍力はフィクションだと思っていたが、最近は鍛え方で充分可能ではないかと考え始めている。

 

確かな証拠には絞り染めの技術である。あの微細な3mmほどの粒を指先の力で摘み上げて絹糸を5回巻きつける作業は今では神技としか思えない。

 

人の寿命は確かに昔の倍以上に延びた、医学の進歩による功績は疑う余地はないが、それだけ人の身体は虚弱になっているのではないか?昔の人の鍛え方は肉体のみでなく精神まで鍛えなければ生き抜けない厳しい環境ではなかったかと想像する。

 

「水は低きところに流れ」、「人は易きに流れるもの。」今では想像も出来ない肉体から忘れ去られた技術が存在していたに違いない。

 

>>お問い合わせはコチラ

未来

仕事も健康も未来は予測不可能である。その場面、場面で最良の判断をするしかないが、未来を予測して準備しておく必要はあり、足元ばかり見ていると世の中の進む方向を見失う。

 

 

予測が的中するか、しないかは運しだいというのが凡そ70年生きてきた私の結論である。

 

私の場合、若い頃は7代目として、何とか無事に暖簾を守っていくのが希望であり夢でもあった。そのためには「攻撃こそ最大の防御」の教訓から事業の拡大を夢見たこともあった。

 

しかし社会の流れや需要の変化、自分の性向を考えると質の向上、維持こそが生きる道だと確信してからは物作りと掘り下げ、製造現場への執着を心がけた。

 

健康面では元来病弱であったため、健康診断を欠かさず、無理をしないことを念頭に騙し騙し生きてきたような気がする。しかし55歳で白血病を患い、再起は不可能と思ったが奇跡的に回復し、かつてない健康を得たが67歳で咽頭癌を患い現在に至っている。

 

一方、仕事面では予測は的中し、予想以上の成果を上げることができた。後は後継者に徐々にバトンタッチしたいと考えている。

 

人生は不思議なものである、二度チャンスがあるなら二度目はしくじらない自信はあるが、たった一度キリの人生という事実が人を惑わし、悩まし、決断させるのである。

 

私も道を踏み外し迷路に迷うこともあったが振り返って自己採点すれば80点の及第点を付けてもいいと思っている。それもひとえにに妻のお陰である。

>>お問い合わせはコチラ

2017年十大ニュース

もう20年位は続けて来ただろうか?その年の私にとって十大ニュースを年末に書き記す習慣。今年もそんな季節になった。

 

1:半療養生活ながら仕事とロータリークラブへ復帰を果たす。

2:細見美術館にて古裂展を開催する。

3:NHKからのオファーで私の仕事を30分番組として収録する。

4:康二(次男)に女児誕生。

5:義母が96歳で死去

6:日本の景気が上向く。

7:意外にもトランプが米国 大統領になる。

 

数えてみると今年は7大ニュースにしかならない、療養生活のせいで大きな変化がない穏やかな一年であった。

 

来年も皆様にとって良い歳になりますようお祈りしています。

 

>>お問い合わせはコチラ

私の古裂活用法

人はいつも新しいものを求める。目新しい物をいつの時代も求め続ける性を人は持っているものである。

 

最新モードのデザイナーは新しいコンセプトを提案し形にして見せてくれる、それを女性は喜んで受け入れる。ドイツの高級車も7〜8年でモデルチェンジしドライバーはその目新しさに惹かれ、見飽きた車を捨て去る。

 

 

これは現代に始まったわけではなく桃山時代にも既にその動きは見て取れる。15世紀、突如、現れた「辻ヶ花」は当時の人を魅了したが、年々目新しい変化を繰り返し、50年後には「疋田絞り」に席巻され、以後、再び歴史に登場することはなかった。

 

古裂を眺めていると捨て去られた技法の中にドキッとするような「美」が存在すると気付く。私が古裂を再現する作業は「復元」を目指すのではなく、消滅してしまった良き時代のエッセンスを現代に蘇らせる作業である。

 

物は確かに人の手で作られるのだが、その人は時代がつくる、言い換えれば「物は時代が作らせる。」という持論を自得するために古き良き時代の感触を自分の手で感じる必要がある。それを復元と称しているが「真似て」いるという方が正しいかも知れない。

 

古い物が全て素晴らしいか、と言うとそうではなく愚作もあれば、明らかな失敗作も現存するが、殆どの物が意匠力、表現力、技術において今のものより格段に素晴らしいと認めざるを得ない。

 

NHKの取材オファーを受けて私が行ってきた仕事を改めて検証した結論である。

>>お問い合わせはコチラ