店主ブログ

店主のこだわり

京都人は倹約家

京都は貯蓄をする人が多いと以前から聞かされている。

 

それが証拠に人口130万余にしては日本でも有数の信用金庫が2つもあり、地方銀行もかなり大きい。それだけ京都人は貯金をする人が多い証明になる。

 

 

ケチな人のことを難しい言葉で吝嗇家(りんしょくか)というが京都人は吝嗇家ではない。普段はお金にシビアだがここ一番という時にはシッカリとお金を出す。「金持ちになるには金を使わないこと」という解りやすい格言が生きている町である。

 

私など、その点からみれば浪費家の部類に属し、京都人らしくない。物に惚れると見境なくお金を使ってしまう。

 

値札を確認しないで物を買ってしまうこともあるが、勿論使う上限が自ずとあるから、借金までして、ということはないので真面目な浪費家と云える。最近はイタリアのロロ ピアーナの生地の良さにハマっている。

 

古裂にも目が無いのでお金を残すことはできない私だが、大きな病気を2度も経験すると元気なうちに楽しみたいという気持ちになる。

 

 

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世間は広い

古裂が市場に出ないと嘆いていたら、京都在住のある男性が山のような数の古裂を売りに出したらしく、親しい古美術商が全部まとめて買い取ることになった。

手元に届いたとの連絡があり、早速、店を訪れると、まさに山のように積まれた古裂のコレクションを目にした。

話を聞くと、そのコレクターは全く古裂には興味がなく知り合いの古美術商から勧めらるままに買っていたというから驚きである。世の中には風変わりな人がいる、しかも同じ京都市内に、、、。

世間は広いと感じると同時にお宝は意外なところに眠っているものだと感心する。玉石混交のコレクションから私が買い求めたのは能衣装裂2点である。


桃山時代に初めて織り出された「唐織」は当時流行していた「縫い箔」を織物で表現しようとして始めたと想像されるが、名前とは裏腹にれっきとしたメイド イン 西陣である。

私のコレクションとなった2点は織り行きや絵に古格な素朴さが見て取れる。素晴らしい品が手に入った。

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本疋田が摺疋田へ、染めが印刷へ

江戸時代中葉から本疋田(本絞り)は少なくなり摺疋田へと移って行く。その理由は定かではないが二つのことが考えられる。

一つは幕府によって贅沢禁止の御達しが度々出され、そのやり玉に挙がったのが鹿子絞り(本疋田)であった。一目一目絹糸で絞って染められる技法は贅沢の象徴とされ、摺疋田へと移ったと考える。

もう一つの理由は需要の増大とコストダウンではないかと推測する。この頃になると多くの婦女子が絹の着物を着るようになり、平和を背景に需要は増大したに違いない。この需要に応えるには摺疋田は最適な手段であった。

これを現代に例えると染友禅が捺染、及びインクジェットによる印刷へと変わろうとしている。この変化の理由も安価な着物の需要増大にある。

絹の素材価値よりも化繊による安易なきもの姿に憧れる女性心理が原因して悪貨が良貨を駆逐する現象が起こっている。

これも時代の流れ、諸行無常と言ってしまえば、それまでだが、きものの歴史を知る者にとっては嘆かわしいとしか言いようがない。きっと江戸時代の絞り職人なども往時の変化を嘆いたに違いない。

かくて歴史は古き良き物を流し去り、それに拘泥する人間は時代から取り残されるのである。

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「布の道標」展が無事閉幕

6月17日に開幕した「布の道標」展が過日8月20日、無事に終了した。

期待と不安の中、スタートした展覧会であったが終了してみれば 10,000人の来場者があり30,000円もする図録が30冊も売れるという予想外の成果報告を受け、満足感と感謝の気持ちで一杯である。改めて細見美術館の関係者の皆様にお礼を申し上げる。

終わってみればアッという間の出来事であったが準備段階では「裂」だけの展覧で来場者が少ないのではないか、真夏の開催で暑さから出足が鈍るのではと心配していた。

私自身、この展覧会を振り返ってみると、時代の風雪に耐えて現存する裂の尊さと先人達の匠の技、意匠に対する熱い思いが改めて心に響いた、と同時に気付くのは500年を境に、それ以前の染織品の存在が難しいことだ。

今でこそ平均寿命80歳などと云われるが、人生40年と云われた時代が長かった歴史からすると500年、12世代の意味するものは大きい。

更に1200年という奇跡的な年月に耐えてきた正倉院御物は人類の宝物である。

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心地良い空間

人が心地良いと感じる空間の好みは様々である。しかし多くの人は海風に身を任せて、波の音を楽しめる場所を好むのではなかろうか。

私もまさにその一人である。3年ぶりに夏休みを取って沖縄に出かけてみた。と言ってもまだ水に入れる体調ではないので、専らホテルのカフェからビーチを眺めることに終始したが、広く開口された窓から吹き込む西風に身を委ねる心地良さは格別であった。

京都育ちの私には海景は京都の町家文化とは真逆の美しさを感じる。

狭く閉ざされ凝縮された人工美に対して、地球の果てまで開かれた自然空間の開放感は鮮やかな陰陽を描き出す。

幸い天候に恵まれ、滞在中は珍しく晴天続き、身も心もリフレッシュして帰京すると、やるべき仕事が山のように待ち構えていた。

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