危機的な状況に追い込まれていると物の本質が見えるようになると感じている。
まず第一に美的なものに敏感になる。
私が摺箔の美に気づいたのも、今の病気を患って生死を迫られていた時期である。
大きく変わったのは、これなら大丈夫と思った人を信頼する気持ちがグーッと大きくなり、何よりも自分自身の運の強さも確信できるほど強固になっている。
織田信長や豊臣秀吉など戦国時代に生きた人たちには無縁とも思える審美眼が、なぜ備わっていたのか不思議でならなかったが、今ようやく彼らが今の私以上に生死にかかわる窮地にあったからだと気がついた。
平常な時は物を見るにしても雑念が靄か霞のように物の本質を隠してしまう。
戦さ戦さに明け暮れて敵陣めがけて先頭に立って突進す日々が続けば、おのずと雑念も晴れ、純粋な目で物を見る、その眼に映る映像は虚飾も誤魔化しもないピシッとピントの合った実体が写っていたに違いない。
それが桃山時代の美術品の特徴的な共通性である。
先日、杉本博司さんに屏風の引き渡しを行った。
彼もまた物の本質を捉えられる1人で目利きと呼ばれる人のひとりである。